この声は届くか

スマホの音声入力でどこまでブログが書けるのかの実験としてはじめます。途中で変わるかもしれません。

次章に向けて

父と母が結婚後1年余りして兄が生まれ、そのさらに1年余り後に私が生まれます。父の人生は、もちろんここからのほうが長いわけで、もっともっとここから先にいろいろなことがあります。父の話をここで終わるのはまだまだ早いわけです。続きとしてそれを語っていくべきなんでしょうけれども。いくつかの理由で一旦ここで父の昔話をするのは一区切りにしようと思います。

理由の一つは、話の出どころの変化です。ここまでの話の内容は、主に父から聞いたことでした。もちろん母の思い出話、仲人さんからの聞き取り、あるいは周辺のことに関しては私自身の知識からもずいぶんいろいろと余分なことを付け加えました。けれども、ここから先のことは父から聞いたことよりも、私自身の思い出、子どもの頃のおぼろげな記憶、あるいは母から聞いたことや兄が思い出したことが中心になっていくと思われます。自分で見てきたことをあらためて父に尋ねることもなかったし、いくらかは父に聞いたとしても、それは自分の記憶を補強するものでしかなかったわけです。そうなると、やはり父の思い出話を中心とした記述は、ここらあたりで一区切りがつけられるのではないかと思われるわけです。

もう一つは、時代が下ってきますと生存してる方が多くなることです。父の兄姉はすでに全員が他界しております。一人も生き残っていません。そういう人たちのことについて、もちろん嘘を書くつもりは全くないわけですけれども、私自身が誤って記憶していること、思い違いをしていることは多々あるでしょう。けれど、こういう言い方は失礼かもしれませんが、亡くなった人のことですから、もうそれは「間違いは間違いなんだ」と笑いごとで済ませてくれるのではないかと思うのです。しかし、これが父と母の結婚後の話になりますと、やはりご存命の方も多くなります。ここでも私が誤って記憶していることや思い違いなどもあるわけですが、そういうことを書き残すのは、生きている方々にとって、失礼なこと、不都合なことにもなろうかと思うわけです。いろんなことで差し障りがある。だからといって何も残さずにいつまでも置いておくわけにもいきませんから、そのうち機会がありましたら、あやふやなところはなるべく確認を取るとか、あるいは少しフェイクを入れるなどの工夫をして、なんとか残しておこうとは思います。しかし、それやはり父の思い出話を中心として構成してきたここまでの部分とは本質的に異なります。それはそれで、改めて書き起こさねばならないのでしょう。

このブログ、冒頭で書きましたように、音声入力を練習するために始めたものです。あまり考えずに出てくる持ちネタを練習の題材にしようということで、じゃあ思い出話がよかろうと、父の思い出話を始めました。では、次にどう進めていくかということですけれども、父のことを書きました以上、やはり母のことも書いておくべきかなと思います。ただ、母はまだ存命中ですし、最近のことを書けばいろいろ差し障りが出てくるということでは、父の結婚後の話と同じです。比較的差し障りがないかなと思われるのは、やはり母の若い頃、つまり父と結婚するまでのことでしょう。そして、その時代のことになりますと、母のことだけでなく母の一族、つまり私の祖父、祖母、母の兄姉まで含まれてきます。これらの方々は、ほとんどが亡くなっております。そういう人々の思い出です。これらの人々から私が断片的に聞いたことを書き止めておくのは、一つ意味のあることなのかもしれません。そういったことを次の章として書きついでいこうかなと思っております。