この声は届くか

スマホの音声入力でどこまでブログが書けるのかの実験としてはじめます。途中で変わるかもしれません。

作家になりたい?

子どもの頃、作家になりたいと思ってました。

子どもであった私のイメージにあった「作家」とは、どういうものだったのでしょうか。ひとつは、物語、小説、お話をつくる力をもった人、という意味でしょうね。もうひとつは有名人です。
子どもの頃というのは、有名な人に憧れるものです。目立ちますからね。目立つ人が憧れの対象になるのは、ある意味、当然なことなんでしょう。サッカー選手であったり野球選手であったり歌手であったり芸能人であったり、そういう人が目立ちます。だから、ロールモデルとして浮かんでくるわけです。
私が子どもの頃に思った「作家」も、第一には有名な人という意味だったと思います。けれど、もうひとつの意味での作家、つまり、お話を作れる人、物語を作れる人、文章のかける人、そういう意味での作家への憧れも、確かにあったんだろうと思うわけです。

ここで全然関係ない話なんですけれども、私の兄は、やはり物書きになりたいってことを随分と若い頃から言ってました。中学生とか高校生くらいの頃にはもう、言ってましたね。たしか、中学生の頃には物書きって言ってたと思います。高校生あるいは大学に進学する前後辺りには、ジャーナリストと言ってました。その頃は、まだそういう呼び方がそこまで広く通用していなかったように思います。新聞記者みたいな言い方のほうが通りがよかったでしょう。そういう時代に、ジャーナリストになりたい、みたいなこと言ってました。なかなかマセてますね。結果、彼はマスコミ業界にもジャーナリストの道にも進まずに大学の教師になりました。けれども、現実に大学の教師としてものを書いてるんですよね。なので、ある部分は子どもの頃で夢を叶えたと言っているかもしれません

さて、私の方なんですけれども、子どもの頃の作家になりたいという夢、叶ったかといえば、現実に作家ではないわけですから、叶ってないんですね。じゃあその夢、いつ頃あきらめたんでしょう? いつあきらめたのかと改めて考えてみたら、なんだかあきらめたことがないような気がするんですよ。つまり、まだあきらめてないんですね。もちろん、作家として有名になりたいというようなことは、もう早い段階であきらめています。別の道で生きていくことを、もっと若い頃に決めています。けれど、文章書く力、お話をつくっていく力、ストーリーを組み立てていく力は、どうにかして身につけたいものだとずっと思ってきたし、いまでも思ってるわけです。

いまでもそういう力がほしいと思ってるわけです。ということは、言葉をかえて言えば、いまだにその力が私にはないわけなんですよね。まったくないわけではなく、十分にない。実際、いままでに随分いろいろなものを書いてきています。小説を書こうとしては失敗したり、あるいは子ども向けのお話なんていうのはずいぶんたくさん書いて、あるWebサイトにまとめて置いてあったりします。あるいは物語ではないけれども本は何冊か書いてきて、立派な出版物としてまとまったものはありませんけれども、自費出版程度ではそれなりに何冊か形にしてきました。
そういうふうに思えば、書くということはある程度はできるようになったんだなと思います。けれど、まだまだです。本当に書きたいことを自由自在に表現することはできていません。まだまだ子どもの頃に憧れたような作家、つまり思いのままに物語りやストーリーを紡ぎあげていく人には、なかなかなれないです。いつかなりたいと思ってます。この歳になっても、まだなりたいと思っています。