この声は届くか

スマホの音声入力でどこまでブログが書けるのかの実験としてはじめます。途中で変わるかもしれません。

2020-01-01から1年間の記事一覧

戦時下の舞鶴にて

このブログを書いていて、うろ覚えだった舞鶴の火薬工廠について、少しWebを検索してみました。 maipress.co.jp 『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』 関本さん(大波上)が自費出版、市内の書店に【舞鶴】 | 舞鶴の新鮮な情報配信 Maipress-マイ…

祖父と火薬

実のところ私は祖父のことはよく知らないのだなあと、最近になってよく思います。もちろん、それほどゆっくりと話を聞く機会がなかったこともあります。祖父は私が大学生の頃に死にました。特に晩年は病の床についておりましたから、私が祖父のことを覚えて…

軍港を転々と

海軍軍人であった祖父の赴任地について、私はおおまかにしか把握できておりません。先の戦争の従軍者に関しては、その直系2親等までの親族が厚生労働省に申請すれば軍歴を知ることができるのだそうです。そういうしっかりした調査をすれば判明するのですけれ…

祖父が結婚するまでのこと

母の若い頃のことや母のきょうだいの歴史を語ろうと思いますと、やはり母の父親、つまり私の祖父のことから始めるのが最も適当ではないかと思います。祖父は、長野県、つまり信州信濃の山奥で牛飼いを営んでいた一家の生まれと聞いております。その一家の中…

母の一族のこと

母親の若い頃のことを記録したいと思うんですが。これに際して私の中に少し後悔があります。私の母は四人きょうだいです。つまり、私から見て母方には一人の伯父と二人の伯母がいました。母を含めて男一人、女三人のきょうだいでした。伯母の一人は、私が二…

次章に向けて

父と母が結婚後1年余りして兄が生まれ、そのさらに1年余り後に私が生まれます。父の人生は、もちろんここからのほうが長いわけで、もっともっとここから先にいろいろなことがあります。父の話をここで終わるのはまだまだ早いわけです。続きとしてそれを語っ…

父の結婚

父と母は、結局のところ父が八十八で亡くなるまで、半世紀以上も添い遂げたわけです。なかなか立派なものです。その二人が出会ったときは、もちろんまだとても若かった。二人とも二十代です。そして時代も若かった。もちろん戦争に負けた──敗戦という非常に…

父の縁談

お見合いと言いますと、我々は因習であるとか、政略結婚であるとか、何かそういう仰々しいものを連想します。お見合いの席のマナーでありますとか、釣書の作法でありますとか、そういったものがまとわりついてくるもの、格式あるもの、古めかしいものという…

ポリエチレン袋販売の黎明期

プラスチック製品は基本的に戦後のものです。戦争前から合成樹脂は研究され、日本国内でも多少は生産されてはいたわけですけれども、これらが実際に製品に利用されるようになったのは、第二次世界対戦中、アメリカとイギリスでのことだったそうです。 プラス…

家一軒分を飲んでしまった話

昭和の頃の男の遊びといいますと、飲む、打つ、買うの三つということになっております。父は、私が知っております限りにおいては、飲む──酒を飲むことはずいぶんとやっておりました。晩年に至るまで晩酌は欠かさなかった。打つ──つまり博打に関しては、まっ…

包装用品販売業の成長

私が子どもの頃、家には、「これはいったい何に使うんだ?」「なんでこんなものがこの家にあるんだ?」みたいなものがちょくちょくとありました。それは、父の会社の取引先が倒産したときに、差し押さえで持ち帰った品物だったんですね。企業が倒産すると、…

父の教育

現代では賃労働つまり企業に勤務することで給与をもらう、そしてそれによって生活するライフスタイルが一般的なものとなっています。昭和の言い方ではサラリーマンですね。そういう暮らし方が標準になっています。もちろん、現代でも賃労働以外で生きてる人…

オート三輪の運転手

運転免許は、いまでは厳格に管理されております。けれども、自動車の普及が始まった頃にはかなりいい加減なものだったようです。江戸川乱歩の怪人二十面相のシリーズを読んでおりますと、助手の小林少年が登場しますが、彼は免許を持ってないのに運転をする…

百姓から商売人へ

飴をつくる朝鮮人業者に薪を運ぶ仕事をしはじめた父です。この仕事、事業としては次兄のもので、父は単なる使い走りです。それがどういうふうに始まったのか、想像ですけれども、おそらく飴の原料となる米を闇で農村に買いつけに来た飴屋が、ついでに薪はな…

農業から薪の販売へ

戦争が終わる前のことか戦争が終わってからのことか、ちょっとはっきりはしないのですけれど、父が農業をやってた頃、肥汲みが仕事のうちだったと話してくれたことがあります。江戸時代、都市部で出てくる屎尿を汲み取って近郊農業が行われていたのはよく言…

戦時中の暮らし

私の父は昭和6年の生まれですから。ざっと計算しますと、小学校を卒業したのが昭和19年の4月となりましょうか。昭和19年というと、戦争もかなり終盤に近づいてきまして、空襲なんかもされるようになっていた頃ですね。けっこう大変な時代です。当時の教育課…

父の子ども時代

私の父が小学校の頃、あるいはそれ以前の幼児期のことについて、私はほとんど知りません。父もあまり喋らなかったと思います。わずかに語ってくれたなかで最も古いものは、おそらく小学校の低学年の頃のことだと思うんですけれども、年上の子どもに連れられ…

父が生まれた頃の故郷

父は七人だか八人だからのきょうだいの末っ子として生まれました。父の父親がどんな人だったのか、私にはよくわかりません。というのも、父の父親つまり私の祖父は、父が小学生のときに死んでいるからです。その後は歳の離れた長兄と次兄が親代わりとして父…

移住者の末裔

私の父は河内の百姓の家の生まれでした。河内というのがどこまで正確なのかということなんですが、大和川という川が現在、堺市と大阪市を分けております。この大和川、江戸時代、1700年代に付け替え工事で今の流路になりました。これ以後、大和川より南側が…

思い出を、ここから語っていきます

ここまでブログを書いてきて、いくつかわかったことがあります。まず一つは音声入力そのままではやっぱり文章にはならないんだなということです。最近の音声入力は非常に進化していて、音声の聞き違い──タイピングになぞらえるとタイプミスみたいなことはほ…

「です、ます」で書くブログ

このブログを書いてきて、気がついたことがあります。音声入力だとどうしても「ですます」調になる、ということです。日本語には「だである」調と「ですます」調があるんですが、無意識のうちに「ですます」調を選択している。もちろん、「ですます」調でき…

インプロビゼーション

ギターを弾くようになって、ずいぶん長くなります。若い頃にはライブハウスの飛び入りなんかでステージに立ったりしてました。いろいろ持ちネタはあったけれど、オリジナルの歌がメインでした。そして、割と自分で楽しみにしていたのは即興演奏でした。 観客…

作家になりたい?

子どもの頃、作家になりたいと思ってました。 子どもであった私のイメージにあった「作家」とは、どういうものだったのでしょうか。ひとつは、物語、小説、お話をつくる力をもった人、という意味でしょうね。もうひとつは有名人です。子どもの頃というのは、…

子どもの頃の想いを再び

口述筆記ということを、私は子どもの頃からずっとやりたいと思っていたんです。 口述筆記に限定したわけじゃないんですけれども自分の頭の中にあるものをそのままの形で表に出したい──子どもの頃、そんなふうに思ってました。この想い、実は今でもあまり変わ…