この声は届くか

スマホの音声入力でどこまでブログが書けるのかの実験としてはじめます。途中で変わるかもしれません。

移住者の末裔

私の父は河内の百姓の家の生まれでした。河内というのがどこまで正確なのかということなんですが、大和川という川が現在、堺市大阪市を分けております。この大和川、江戸時代、1700年代に付け替え工事で今の流路になりました。これ以後、大和川より南側が和泉、北側が摂津となりました。河内と和泉の境界がどこに引かれ直したのかちょっとよくわからないんですが、付け替え工事が行われるまでは、旧堺市内が和泉、摂津、河内の三国の境目ということだったわけですから、父が生まれた村はいずれにせよ、河内の国に含まれていたのは間違いありません。

なんでも言い伝えによりますと(というか、父に聞いたところでは)、うちの家系は、父の父親の三代前に、八尾のあたりから現在の堺市内になる大和川の南側の地区に移ってきたんだそうです。父の先祖が一人でやってきたわけではありません。むらをあげて移ってきたようです。

これはどうも大和川の付け替え工事に関係した移転ではなかったかなと、子どもの頃には思っていました。父もどうもそういう認識だったようです。けれど、数えてみると全然合わないんですね。大和川の付け替え工事は江戸時代の真ん中あたりになるわけですが、うちの父から三代前というと、正確なところはわからないんですけれども、明治の初めか江戸時代の終わりあたりになろうかということです。すると、付け替え工事そのものによる移転じゃないようですね。

ただ、大和川の川筋が変わることによって八尾の辺りを中心とする中河内地方の農業水利の様子は、かなり変わったということです。ですので、ひょっとしたらそういう変化によって農業の条件が不利になった人々が何らかの政策によって大和川の南側にあった空いた土地に移住させられたのではないかなということも考えられます。このあたりは郷土史家にでもいちど尋ねねてみる必要があるのかもしれません。

ちなみに、そのむらは、戦争以前、というか、合併によって堺市編入されるまでは新田という名前だったそうです。新しい田んぼですね。ですからやはり、新たに他所から移ってきた人々のむらであるということはほぼ間違いないわけです。その新田村ができる前はどういうことだったのかはよくわからないんですけれども、大和川付け替え工事の頃の話をちょっと調べてみますと、ヒントが出てきます。西除川という川が狭山池の方から流れておりますが、この川と新たにつけられた大和川とを合流させるのに、そのまままっすぐに合流させると大和川の方が河床が高くなって逆流することになる。したがってある程度下流の方まで西除川大和川と平行するように流路を付け替えて、下流の方で合流するようにしたんだそうです。そして、この新田地区は、まさに大和川西除川が並行して流れるその間にできています。ですので、大和川の付け替え工事をしたときに半端な地として捨てられていたところを新たに開墾して田んぼができたのか、あるいは開墾のために八尾の方からむらを移してきたんじゃないかな、とも思えるのですね。

この新田地区、どのくらいの戸数だったのかよくわかりませんけれども、むかしからこの町内の人々だといわれるむらの人々は、10ぐらいの姓を分け合っています。つまり、10ぐらいの氏族があったんじゃないかと思われます。このむらの人々の名前の構成が割と面白いのです。漢字が10個ぐらいしか使われていないんですよ。その10個をいろんな組み合わせで姓にしている。つまり、これらの姓は、明治維新のときに創氏というか家を基本にする戸籍関係の法律ができて、新たにつけた苗字だと思うと、辻褄が合うんですね。その新しい姓をつけた人物がいる。皆が勝手につけたんじゃなくて、誰かまとめてつけたんだろうと思えば、この限られた文字の組み合わせでむら全部の姓ができているという謎が解けるんじゃないかと思うんです。役場の人が付けたのか、あるいはお寺か神社があって住職とか神職みたいな知識人がつけたのか、まあそういうことじゃないかなと想像しています。あくまでこれは想像です。いずれにせよ使われてる漢字が限られてるということは、割と安直につけたんだろうなと思うわけです。

ですので、私の苗字は松本といいますけれども、松本氏というのは何でも戦国時代まで遡ることができる氏族の名前であるんだそうですけれども、そういう由緒正しいところと繋がらないのは非常に明々白々です。うちの家は、松本という姓をもらう以前は丸市という屋号だったとわかっております。これはもう間違いないところです。というのも、父が母屋(本家)から分家するときに持ってまいりまして納屋に置いてあった農機具、鍬であるとか鎌であるとか、そういったものには◯に市という焼印が押されてあったのです。これはいまでもはっきりと覚えております。ですのでマルイチの方が先にあって、松本という姓は後からできたんだということが、このあたりからもわかるわけですね。