この声は届くか

スマホの音声入力でどこまでブログが書けるのかの実験としてはじめます。途中で変わるかもしれません。

思い出を、ここから語っていきます

ここまでブログを書いてきて、いくつかわかったことがあります。まず一つは音声入力そのままではやっぱり文章にはならないんだなということです。最近の音声入力は非常に進化していて、音声の聞き違い──タイピングになぞらえるとタイプミスみたいなことはほとんどありません。ですので、しっかり喋っていればそのまま流し込んでもそれなりにブログの記事にはなると考えられます。けれどしっかり喋るということが、ことのほか難しい。

以前、テン・マルを意識するとか、文の長さを意識するみたいなことを書きました。確かにそういうとこを意識すると多少はましになるのです。けれども、やはり話し言葉と書き言葉の違いというものがあるようです。しっかり書き言葉を意識して書き言葉のように話していけば、ある程度は書き言葉になるでしょう。けれど、それだと入力デバイスが変わっただけでタイピングしてるのとほとんど変わりません。時間もそれだけかかります。音声入力の良さというものがなくなるような気がするんですね。

このブログ、初回はいきなりアップしましたけれども、それ以降はずっと音声入力したテキストを一旦テキストエディタで書き直しています。音声入力したテキストを下書きとして、「てにをは」を直したり、部分的に順序を入れ替えたり、マルをつけたり、余分なスペースを取ったり、段落をつけたりしてからアップするようにしています。そういう下処理が必要なんだなということを感じました。
下処理をしてもやはり入力スピードということでいえば全体的にずいぶん早いです。毎日これだけのブログを書き続けるっていうのはふつうなら相当負担になります。それは、いままでの経験からわかってます。そういう意味ではたいした労力もなく続けられています。そうですね、喋ってる時間っていったら5分かそこらでしょう。そして修正する時間が20〜30分あればっていうところです。ずいぶんとスピードアップにはなっています。

もう一つは、これまで言ったことと関係するんですけれども、やはりある程度安定した持ちネタでないと、文にはできないなということですね。書くということには思考を深める働きもあります。ブログ記事を書くときには、書きながらアイデアをどんどん練っていくっていうのが結構よくあります。ところがしゃべりながらアイデアを練っていくのは、なかなか難しい。もちろん思いがけないアイデアが飛び出す、思いがけない組み合わせが浮かぶ、そして飛び出してきた新たな発想から発展させていくことができる場合は結構あります。以前にインプロビゼーションということで話した通りです。けれどやはり、論理的に思考を深めるっていうのは、喋りながらだとちょっと難しい。

そういうことを感じてきて、それではこれからどうするかっていうことです。この音声入力には非常に魅力感じてますので、続けていきたい。どうやって続けるかっていうとやっぱり持ちネタで続けていくのがいいだろう。そうすると、安定してる持ちネタっていうのは、なんだろう。結局のところ、昔話なんですね。思い出、歴史、自分の頭の中にある記憶。昔の記憶なんです。ですから、ここからは、そういったことを書き綴っていくブログとしてしばらく続けていこうかなと思います。具体的には、まずは親父の思い出あたりからしゃべっていったらいいんじゃないかなと思ってます。

ということで、音声入力についての話は「序章」ということでこのぐらいで一旦措きます。そしてまず、第一部として親父の思い出をこの後、続けていこうと思っています。