この声は届くか

スマホの音声入力でどこまでブログが書けるのかの実験としてはじめます。途中で変わるかもしれません。

オート三輪の運転手

運転免許は、いまでは厳格に管理されております。けれども、自動車の普及が始まった頃にはかなりいい加減なものだったようです。江戸川乱歩怪人二十面相のシリーズを読んでおりますと、助手の小林少年が登場しますが、彼は免許を持ってないのに運転をするんですね。免許を持ってないけれども運転が上手なんだ、みたいなことが小説の中に平気で書いてある。小林少年は明智小五郎の助手ですから、もちろん警察の人とも面識があるわけです。つまり、警察も別に無免許だからといって取り締まることをしない。ずいぶんといい加減です。免許は持ってれば持ってた方がいいんだけれどとりあえず事故を起こさなきゃそれでいいよっていう時代が、おそらくあったのでしょう。これはアメリカでも同じような感じらしくて、向こうの小説を読んでいましても、やはり無免許で車に乗っているシーンが割と普通に出てきます。昔の話です。現代では日本でもアメリカでも、無免許は厳しく取り締まられるわけです。

高等小学校を出たか出ないかさえうやむやなままにいつの間にやら農業から家業の手伝い、そして闇屋のような商売から松屋町筋の会社の住み込み奉公へと、目まぐるしい変化をとげた父ですけれども、この松屋町筋に住み込んでおりました時代に車の運転を覚えます。新しい社屋の向かいに自動車のディーラーがあったそうです。後になって父は生涯トヨタ車に乗り続けることになるのですが、この自動車販売店がその縁だったようです。最初からトヨタ系列だったのかどうかわかりませんけれど、私が子どもの頃にはトヨタの正規ディーラーでした。そこの所長と親しくなったのが、どちらも若かった戦後すぐのこの時代なのだそうです。父が暇そうに店番をしておりますと、自動車販売店の若い店員が声をかけてくる。ちょっと乗ってみないかというわけです。まだ貧しい時代ですから、自動車を買う人も少なく、ディーラーも暇だったんでしょう。父も若かった。いまの高校一年生か二年生ぐらいの年齢ですから、やんちゃ盛りです。触ったこともないものにどうやって乗るんだっていっても、乗れと言われたら乗ってみるぐらいの冒険心はあります。あたりは焼け野原ですから、少々運転が荒くても物を壊す心配はそこまでありません。少し乗ってるうちにけっこう慣れてくる。自動車屋の方も客が多いわけじゃなくて暇なので、懇切丁寧に教えてくれる。ここはこうやるんだ、あそこはそうするんだっていうふうに、手取り足取りですね。ということで父は車の運転を瞬く間に覚えました。面白いエピソードがあるんですけれどもそうやって車が運転できるようになった頃のことです。たまたま近くの店にタクシーの運転手がやってきてそこでちょっと一杯やる、休憩をすることにした。父は好奇心から、タクシーをみる。運転を覚えたてで、乗ったことのない車種に興味があったんでしょう。これはどうやって動かすんだというようなこと聞くと、タクシーの運転手はいろいろ教えてくれる。忙しくない、のどかな時代です。ここはこう、そこはそうというような話をする。要領がつかめたところで、ちょっと乗ってぐるっと回って来てもいいよと言ってくれる。そこで父は、このタクシーに乗りまして少し走ってみる。すると、駅前で客がタクシーを止めるわけです。客の方は運転しているのが無免許の子どもだとは知りません。偉そうに乗ってくると、どこそこ行ってくれと言う。父は仕方ないので客の言う通りに走って目的地まで届けて、そして戻ってきてタクシーをちゃんと運転手に返した。何事もなかったようにタクシーは営業を続けるわけです。そんな信じられないようなこともあったんだそうです。

こんなふうにして父が運転できるようになりますと、次兄、つまり包装用品販売事業の経営者である社長は、父に配達を任せるようになります。自分が出歩いて店番を小僧にさせるよりは、自分が店にいてしっかりとものの出入りを管理した方がいいわけです。事務仕事もたくさんあるわけですからね。そこで父はオート三輪に乗り、あちこちと配達に出かける。当時、闇物資が統制を外れて流通し、政府がそれを何とか管理しようとしていた時代です。ですのであちこちに検問がある。大和川を越えて配達に行き、そして戻ってくるときに検問に引っかかる。父は無免許ですから、捕まるわけにいきません。しかし、警察官の方は免許があるかどうかなんてことは全然問題にしない。オート三輪の荷台を見て、闇物資が載っていないことを確かめるだけです。父は包装材を扱ってる会社のものですから、別に食料品のような闇物資を運んでるわけじゃありません。ですので荷台の中身をチラッと改めた警察官は、さっさと行けと検問を通過させてくれる。無免許であっても検問を難なく抜けられたのどかな時代でもあったそうです。 

ちなみに、やや後になって父は改めてきちんと免許をとるのですが、無免許ながら毎日のように運転しているわけですから、当然、一発で実技試験に通ったそうです。その頃は学科試験らしいものも特になかったそうです。ですので、自動車学校にも行かずに免許をとった。しかも、その時代の免許は最強で、後の法改正のたびにランクが上がり、最終的には大型免許にまで大化けしていました。晩年になっても無事故無違反のゴールド免許で、やっぱり叩き上げは強もんだなと思います。